煙少香白檀初梅のはなし
煙少香白檀初梅と菅原道真
以前、「梅薫堂ロゴのはなし」の中で、梅薫堂では「梅」にちなんだ商標・商品ブランドを多数持つことをお伝えしました。「煙少香白檀初梅バラ詰」もそんな製品の一つです。
「煙少香白檀初梅バラ詰」では、白檀の甘さを含んだ優しい香りを基調に、爽やかな梅の香りを表現しています。このお線香を焚くと、変化のある香りというよりは、穏やかな香りが持続します。また、販売先の仕入れ責任者や卸売業者の担当営業から、「このお線香からは高級コスメのような上品な香りがするので、女性へのウケが良い」という評価をいただいたこともあります。
さて、今回は梅にまつわる話として、「菅原道真と大宰府天満宮の梅」の話を少し紹介したいと思います。
現在は学問の神としても知られる菅原道真(西暦845年~西暦903年)ですが、左大臣 藤原時平の政略により、無実の罪で大宰府(現在の福岡県太宰府市宰府)に左遷させられてしまいます。道真公は京都を離れる間際、自宅の梅の木を見ながら下記のような和歌を詠みます。
「東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」
(春風が吹いたら、香りを風に乗せて大宰府まで送り届けておくれ、梅の花。主人である私が居ないからといって、春を忘れてはならないぞ。)
私個人の所感ではありますが、無実の罪を着せられ失意に沈む道真公の気持ちと、恐らくはほのかに甘みを帯びた爽やかな梅の香りとが絶妙な対比を成しており、道真公の悲しみをより一層引き立たせているように思います。
なお、この和歌には後日談があります。主人を失った梅は悲しみのあまり生気を失い、ついには枯れてしまいます。やがて梅は、道真公を慕って空を飛んで大宰府に赴き、その地に根を下ろしたとされています。これがかの有名な大宰府天満宮の「飛梅伝説」です。
さて、道真公が愛でた梅の花はどのような香りだったのでしょうか。その香りは、きっと道真公にしか分からないでしょう。ただ、道真公の梅の花の香りのように、「煙少香白檀初梅」の香りが皆様の人生や思い出、感情表現の一部になることができれば幸いです。