蘭奢待のはなし
蘭奢待のはなし
「蘭奢待(らんじゃたい)」と呼ばれる、実在する伝説の香木があります。奈良県の東大寺正倉院に保存されており、全長1.5メートル、最大直径37.8センチ、重量11.6キログラムにもおよぶ日本最大の香木です。
正倉院宝物目録での名は「黄熟香(おうじゅくこう)」。平城京の仏教文化を創った聖武天皇の崩御後、光明皇后により東大寺に奉献された聖武天皇遺愛の品々の一つではないかといわれています。その出自、伝来についても詳しいことは分かっておらず、中国の呉からの献上品であるという説、弘法大師空海が中国から持ち帰ったものという説など、様々な説があります。
「蘭奢待」という名は雅名であり、それぞれの文字を良く見ると「東大寺」という文字が隠れています。また、「蘭奢待」と呼ばれるようになったのは足利義満の時代からで、「猛々しく奢った侍が必ず欲しがる」ためだといわれています。
この香木ですが、正倉院に納められた当初はさほど有名なものではありませんでした。しかし、正倉院に素晴らしい香木があるという話は、長い年月をかけて世間に広がります。歴代の天皇や将軍たちは手柄のあった者に対し、この香木を切り取って与えたことから、この香木を持つことが権力者にとってのステータスとなり、やがて「蘭奢待を持つ者=天下人」であるという伝説が生まれていきます。
実際に、蘭奢待には足利義政、織田信長、明治天皇という時の権力者たちが切り取り、その切り取った場所には付箋が残されています。
とりわけ、この伝説を大々的に喧伝し利用したのが織田信長です。信長は、足利義政が切り取った部分の隣に、それも義政が切り取ったのと同じぐらいの大きさと形で蘭奢待を切り取って焚いてしまいます。そうすることで、足利家の天下は終わり、信長が天下を取ったのだと世に知らしめたのです。
また、一国一城よりも価値のあるものとして、武勲や手柄を立てた武将たちに切り取った蘭奢待をさらに細かく切り分けて与えました。実際のところ、武勲や手柄を立てた武将に国や城を与えていたのでは到底数が足りません。信長は、そこで国や城に代わる価値のあるものが必要であると考え、蘭奢待を利用したのです。このように信長が喧伝したことで、蘭奢待の伝説は世間に広がり、その後の文学や舞台にもその名が登場するなど、さらなる伝説を生み出していきました。
ちなみに、蘭奢待の重さは11.6キログラムと冒頭で述べましたが、東大寺に奉献された当初は13キログラム程度あったのではないかといわれています。近年の研究調査では、38ヶ所切り取られた跡があり、足利義政、織田信長、明治天皇らが切り取ったものを含め、過去に50回程度切り取られていると推定されており、正式な記録を残さないまま蘭奢待を切り取った時の権力者が何名かいるのではないかと考えられています。
さて、将来の日本において、蘭奢待が切り取られるようなことはあるのでしょうか?いずれにせよ、平和な時代が続くことを願います。