婆娑羅大名のはなし
婆娑羅大名こと佐々木道誉
鎌倉時代末期から南北朝時代の武将に、佐々木道誉(ささきどうよ)という人物がいます。当時、派手な格好で身分の上下に遠慮をせずに振舞う者達のことを「婆娑羅(ばさら)」といいましたが、佐々木道誉はその風貌や生き様から「婆娑羅大名」と呼ばれました。
佐々木道誉はとにかく型破りな人物であり、香の分野でも伝説を残しています。
「太平記 巻三十九」によれば、1366年に大原野の勝持寺でひらかれた花見の宴において、佐々木道誉はひと抱えもある香木を一度に焚き上げ、その素晴らしい香りが風に乗って辺り一面に立ち込め、あたかも芳香ただよう極楽浄土(浮香世界)にいるようであった、と記されています。
通常、「馬尾蚊足(ばびぶんそく)」と言って、貴重な香木は馬の尻尾や蚊の足のごとく細かく刻んで使用します。むしろ、それほど少量でも香りを楽しむことができるのが香木なのです。そんな香木をひと抱え分も一度に焚き上げてしまったのですから、かなり桁外れな行動であることが分かります。
さて、佐々木道誉はなぜこのような行為を行ったのでしょうか?実は、政敵であった斯波高経(しばたかつね)が花見の会をひらくことを知り、同じ日に佐々木道誉も豪華絢爛な別の花見の会をひらくことで京中の文化人たちを自身の花見の会に集め、斯波高経の花見に参加させないようにしたのです。
つまり、ひと抱えもある香木を一度に焚き上げたのも、斯波高経の面子を潰すための政治的なパフォーマンスだった、というわけです。
そんな佐々木道誉ですが、文芸や立花、茶道、香道、笛、猿楽など様々な文化を保護した文化人でもあり、これらの発展に大きく寄与したと言われています。香の世界においても、佐々木道誉の香木コレクション約180種類は、のちに室町幕府八代将軍足利義政に引き継がれ、香道の成立に大きく貢献をしたといわれています。