香りの西洋史のはなし
香りの西洋史
さて、以前に香木伝来伝承の地のはなしのなかで、日本にいつ頃、どのようにして香木が伝わったかを説明しました。では、世界的にみるといつ頃から「香り」を利用するようになったのでしょうか?今回は西洋におけるそのルーツを辿ってみたいと思います。
メソポタミア・古代エジプト(古代)
香料が初めて歴史に登場するのは、紀元前3000年頃のメソポタミアで、シュメール人がレバノンスギ(マツ科ヒマラヤスギ属)を焚き、その香りを神に捧げていたと言われています。
古代エジプトでは、ミイラを作るために、白檀や肉桂(にっけい)、没薬などの香料が防腐剤として用いられました。没薬のことをミルラといいますが、このミルラがミイラの語源となっています。また、部屋を香りで満たし、香油を体に塗り、衣料に香を染み込ませたりして香りを楽しんでいたそうです。
ギリシア・ローマ(古代~中世)
香油はやがてエジプトからギリシャ、ローマへと伝わり、香料の製造も盛んとなっていきます。蒸留技術が発達し、香りの原料を蒸留した精油(エッセンシャルオイル)が作られるようになり、ローズウォーターなどが香りの主役となっていきます。かのエジプトの女王クレオパトラは、ヤギ乳で満たした浴槽に薔薇の花を浮かべ、湯上りの肌に精油を塗り込んでいたと言われています。外貌の美しさだけでなく、その美しい香りがローマの英雄であったシーザーやアントニウスを魅了したのかもしれません。また、お風呂好きと知られるローマ人ですが、ローマの貴族たちも入浴後、体に精油を贅沢に塗り込んでいたそうです。
十字軍遠征とベニスの商人(中世)
11世紀ごろになると、聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還することを目的とした中東地域への十字軍遠征が始まります。このころ、麝香(じゃこう)などの東洋の香料がヨーロッパにも持ち込まれるようになります。さらにベニスの商人たちにより、東洋の香料や香辛料が広くヨーロッパで取引されるようになります。
なお、16世紀には、皮革産業が盛んだったフランスのグラース地方に、皮革の消臭剤として香料が持ち込まれました。フランス貴族などが、石鹸などに香料を用いたことで、グラース地方は香料の中心として栄えていきます。グラース地方はラベンダー、ローズ、ジャスミンなどの栽培に適しており、やがては「香料のメッカ」と呼ばれるようになります。
そして、ヨーロッパと言えば、なんといっても「香水」です。14世紀には、「ハンガリーウォーター」(ローズマリーをアルコールと共に蒸留したもの)が香水として使用されており、香水の起源の一つと言われています。また、香水が世に広まったきっかけは、16世紀末にイタリアのメディチ家カトリーヌ・ド・メディシスがフランス王家へ輿入れする際に持ち込んだため・・・、というのはとても有名な話です。
東インド会社と有機溶剤法の発明(近世)
17世紀から19世紀になると、東インド会社が東洋からの香料や香辛料の輸入により莫大な利益を得るようになります。
また、19世紀末には、ヘキサン、石油ベンゼンやエーテルなどの有機溶剤による花精油法が発明され、より繊細な花の芳香を表現できるようになりました。
アロマテラピーの発展(近代)
20世紀になると、フランス人化学者のルネ・モーリス・ガットフォセ(1881~1950)がエッセンシャルオイルの優れた効用に着目し、アロマテラピーを提唱します。そしてこのアロマテラピーはやがて世界中に広まっていくのです。ちなみに、ガットフォセの起こした香料店は、彼の死後も発展をつづけ、医療品や化粧品の原材料の研究開発を行う会社として、現在でもフランスに存在しています。
最後に
今回は、香りの西洋史をテーマに、西洋における香りのルーツを紹介しました。ただ、西洋の香りのルーツは奥深く、今回の記事では一部しか紹介できなかったり、割愛したエピソードも多くあります。それらについては、今後配信ができればと思います。また、西洋だけでなく、東洋や日本の香りの歴史についても掘り下げる機会があればと考えていますので、どうぞよろしくお願いします。