家康とお香のはなし
家康とお香
我が国では平安時代、公家貴族を中心に薫物(たきもの)が発展しましたが、武家という新たな支配階級の登場によって、お香の楽しみ方にも変化が生じます。
武家は、薫物(たきもの)のように香料を粉末にして調合し練り合わせるのではなく、香木そのものを楽しむようになります。また、武家は戦に勝ち財産を得ると、最上級の香木を手に入れようとするようになります。武家にとって、最上級の香木を有することが権力の象徴でもあったのです。
戦国時代を生き、天下統一を成し遂げた徳川家康公も大変なお香好きで、熱心な香木コレクターでもありました。
家康公の香木収集への想いは熱く、香木の原産国である東南アジア諸国の国王に対し、最上級の香木(伽羅)を求める書状を度々送り、27貫(およそ100キロ)も買い集めました。
また、家康公の収集した香木や香道具は2600点にもおよび、これは日本のみならず世界随一のコレクション数だと言われています。
家康公の遺産目録の中には、大量の香木に関する目録があります。尾張徳川家に残された目録上の香木は、愛知県名古屋市にある徳川美術館に収蔵されています。
なお、徳川美術館には家康公の遺産だけでなく、徳川家にまつわる様々な品々が収められています。三代将軍家光公の娘である娘千代姫(ちよひめ)が、尾張家二代光友(みつとも)に婚嫁する際持参した「初音の調度」などもここに収蔵されています。「初音の調度」は、幸阿弥長重(こうあみちょうじゅう)作の蒔絵道具で、国宝にも指定され、日本一豪華な嫁入り道具といわれています。数々の調度の中には、もちろん香箱も含まれています。