柿本人麻呂と万葉セットのはなし
万葉セットと柿本人麻呂
古えの時代より、海と山、豊かな自然に囲まれた淡路島。奈良時代には「淡路国」が置かれ、以降、畿内(都周辺地域)から阿波(徳島)を結ぶ「南海道」の主要拠点でもありました。この「南海道」を行き来する官吏や旅人たちは、淡路島で足を止め、多くの和歌を残しました。現在も、彼らの詠じた和歌は淡路島各地の石碑等に刻まれています。
小倉百人一首の撰者であり、鎌倉時代初期の歌人であった藤原定家は、淡路島にまつわる下記の自身の歌を百人一首に選出していることで有名です。
「来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩(もしほ)の身もこがれつつ」
(松帆の浦の夕なぎ時に焼いている藻塩のように、私の身は来てはくれない人を想い、恋い焦がれているのです。)
松帆の浦とは、淡路島北端の明石海峡に面する岬です。「松」と「待つ」が掛詞になっています。
さらに古くは、柿本人麻呂や山部赤人といった奈良時代を代表する歌聖たちも淡路島を訪れ、幾つもの優れた和歌を残しています。下記は、柿本人麻呂の歌です。
「淡路の野島の崎の浜風に 妹が結びし紐吹きかへす」
(淡路島の野島の岬の浜風に身をさらしていると、妻が結んでくれた紐を風が吹き返しているよ。)
野島の崎もまた、淡路島北端の明石海峡に面する岬です。明石海峡は海流が速く、この頃、船で渡るのは命懸けだったそうです。当時、旅の出発の際、妻が衣の紐を結ぶことで旅の安全を祈るという風習があり、妻が夫(柿本人麻呂)を思い、夫が妻を思うという、夫婦の確かな絆が詠まれています。
梅薫堂には、古来より珍重されてきた香木の素晴らしさを皆さまに知っていただけるよう、天然の香りにこだわった「沈香」と「白檀」の二対を組み合わせて1セットとしたお線香があります。
パッケージに上記の柿本人麻呂の和歌をあしらい、淡路島の線香メーカーである我々が、時代は変われども受け継がれる大切な気持ちや絆を、香りを通じて皆さまに感じていただければとの想いを込めています。